(淫猥描写含有につき、閲覧注意)
戦の最中――敵陣のなかで孤立させられ、襟首に衝撃を覚えた瞬間から世界は真っ暗な闇へと変異した。
右を向いても、左を向いても、何もない。
ただ自身を覆うような暗闇だけがそこにあり、明暗どころか自身の姿でさせ、この闇の中では探すことすら出来なかった。
しかし、そんな戸惑いも世界をひっくり返されるようにして蠢いた視界によって瓦解する。
誰かの肩に担ぎ上げられているのか、骨ばった肩が鳩尾に食い込んで吐き気がする。
ぐらぐらと揺れる世界に、不安定に存在し続ける自分という体。世界はこうして脈動するのに、自分は動くことさえ叶わない。
ただこの荒れた波が静まり、世界に光が差すことを待ち続けるしかできない自分のひ弱さが、ことの外厭わしい。
ぎりりと唇を噛み締めた刹那、ふと鼻腔に紛れ込んだ草の匂いに、なぜか覚えがある気がした。
* * *
酸素が足りない。
闇のなかでさえ、くらくらと揺れ動く視界を憎らしく思いながら、政宗は心の中で独りごちた。
顎を上げるようにして背後の支柱らしき木材に後頭部を擦り付けて、不意打ちのように襲ってくる刺激に耐える。
今、政宗は柱を後ろ手で抱くようにして手を戒められ、体が感じる重みを考えれば防具の類は全て取り払われてしまっているのだろう。
それに加えて――さきほどから途切れることなく与えられる湿った体温。
喉笛を甘噛みし、鎖骨に舌を這わす。心臓を抉るように爪を立てては、それを慰撫するように熱い舌で嬲られた。
誰のとも分からぬ唇は、いまや政宗の下腹へと辿りつき、執拗に赤い印を刻みながら敏感な部分へと着実に滑り降りてゆく。
「―――ふ、っ」
猿轡を噛まされた唇から漏れる声は、唾液を吸い取って重たくなった布に絡み取られる。
音にならなくともわかる濡れた声が漏れないことに安堵するのと同時に、助けさえ呼べない――政宗の性格上、助けを呼ぶなどということが出来るかという面は抜きにして――今の状況が心底腹立たしい。
それに加えて、さきほどから執拗に政宗の体を嬲ってゆく人間が一言も声を出さないせいで、それが誰かと検討を付けることさえできないのだ。
「う、っ、ぐ……」
連れ去られた戦場で戦っていた相手は軍神率いる越後の上杉。
気配もなく、少し離れた場所に居たの伊達の兵たちにさえ気付かれることなく政宗を攫ったことからして、忍の介入があったことは間違いなさそうだが、こうして嬲られている意図が理解できない。
上杉が軒猿と呼ばれる忍たちを使っているのは重々承知しているが、その忍たちが政宗を嬲ることなど、あるのだろうか。
戦中の禁欲で、女に飢えているのならまだ分かる。だが、忍というのは本来自我を殺すことを真っ先に教えられるはずだ。こんな風に、敵総大将である自分を攫ってまで嬲る必要性を、どこにも感じることができない。
人質を嬲るとき特有の寒々しいほどの殺気すら感じることもなく。ただ貪るように与えられる熱量に、くらりと闇に包まれた視界が揺らぐ。
――だれが、いったい、なんのために……。
口の中に押し込まれた布を食いしばる奥歯で噛んだせいで、己の唾液が滲み出す。吐き気がした。
「ふっ……、う、―――ッ」
腹を何か柔らかい、細いものが掠めたと感じた瞬間に、自身が熱く湿った場所へと飲み込まれる。
背後の支柱へと凭れさせていた後頭部をガン、と自らの意思で強く打ちつけ、ようやく保たれる正常な意識。
現実と夢の狭間に居るような。錯覚と悪夢の間に居るような不安定な世界を、痛みによって再構築する煩わしさ。
政宗は下肢から背筋を伝って這い上がってくる感覚を追い払うように、幾度となく後頭部を柱に打ち付ける。
「っ、う、う……ぐっ」
舐め上げて、吸い込んで、慈しむように撫でられる。
相手の誰かもわからず。自分がどうしてここに居るかも知らず。なぜこんなことをされているのかも、理解できず。
闇しか存在しない世界に頭まで静めたこの状況が続けば、いつか自分は狂ってしまうのではないか――否、もう狂ってしまっているのではないかと怖気が胸を支配した。
逃げるように体を捩り、痛む手首を無視して目の前に居るはずの相手から体を逃した。
けれど、視界が捕らえることのできない触手がこの体に伸びてくるように、再び政宗の躯は闇に繋ぎとめられて、ずぶずぶと生暖かい闇の中へと沈められてゆく。
「――――ッ!」
再び下肢を相手の手中へと奪われた刹那、チリン、と金物同士がぶつかり合うような涼やかな音を耳が拾った気がした。
戦の最中――敵陣のなかで孤立させられ、襟首に衝撃を覚えた瞬間から世界は真っ暗な闇へと変異した。
右を向いても、左を向いても、何もない。
ただ自身を覆うような暗闇だけがそこにあり、明暗どころか自身の姿でさせ、この闇の中では探すことすら出来なかった。
しかし、そんな戸惑いも世界をひっくり返されるようにして蠢いた視界によって瓦解する。
誰かの肩に担ぎ上げられているのか、骨ばった肩が鳩尾に食い込んで吐き気がする。
ぐらぐらと揺れる世界に、不安定に存在し続ける自分という体。世界はこうして脈動するのに、自分は動くことさえ叶わない。
ただこの荒れた波が静まり、世界に光が差すことを待ち続けるしかできない自分のひ弱さが、ことの外厭わしい。
ぎりりと唇を噛み締めた刹那、ふと鼻腔に紛れ込んだ草の匂いに、なぜか覚えがある気がした。
* * *
酸素が足りない。
闇のなかでさえ、くらくらと揺れ動く視界を憎らしく思いながら、政宗は心の中で独りごちた。
顎を上げるようにして背後の支柱らしき木材に後頭部を擦り付けて、不意打ちのように襲ってくる刺激に耐える。
今、政宗は柱を後ろ手で抱くようにして手を戒められ、体が感じる重みを考えれば防具の類は全て取り払われてしまっているのだろう。
それに加えて――さきほどから途切れることなく与えられる湿った体温。
喉笛を甘噛みし、鎖骨に舌を這わす。心臓を抉るように爪を立てては、それを慰撫するように熱い舌で嬲られた。
誰のとも分からぬ唇は、いまや政宗の下腹へと辿りつき、執拗に赤い印を刻みながら敏感な部分へと着実に滑り降りてゆく。
「―――ふ、っ」
猿轡を噛まされた唇から漏れる声は、唾液を吸い取って重たくなった布に絡み取られる。
音にならなくともわかる濡れた声が漏れないことに安堵するのと同時に、助けさえ呼べない――政宗の性格上、助けを呼ぶなどということが出来るかという面は抜きにして――今の状況が心底腹立たしい。
それに加えて、さきほどから執拗に政宗の体を嬲ってゆく人間が一言も声を出さないせいで、それが誰かと検討を付けることさえできないのだ。
「う、っ、ぐ……」
連れ去られた戦場で戦っていた相手は軍神率いる越後の上杉。
気配もなく、少し離れた場所に居たの伊達の兵たちにさえ気付かれることなく政宗を攫ったことからして、忍の介入があったことは間違いなさそうだが、こうして嬲られている意図が理解できない。
上杉が軒猿と呼ばれる忍たちを使っているのは重々承知しているが、その忍たちが政宗を嬲ることなど、あるのだろうか。
戦中の禁欲で、女に飢えているのならまだ分かる。だが、忍というのは本来自我を殺すことを真っ先に教えられるはずだ。こんな風に、敵総大将である自分を攫ってまで嬲る必要性を、どこにも感じることができない。
人質を嬲るとき特有の寒々しいほどの殺気すら感じることもなく。ただ貪るように与えられる熱量に、くらりと闇に包まれた視界が揺らぐ。
――だれが、いったい、なんのために……。
口の中に押し込まれた布を食いしばる奥歯で噛んだせいで、己の唾液が滲み出す。吐き気がした。
「ふっ……、う、―――ッ」
腹を何か柔らかい、細いものが掠めたと感じた瞬間に、自身が熱く湿った場所へと飲み込まれる。
背後の支柱へと凭れさせていた後頭部をガン、と自らの意思で強く打ちつけ、ようやく保たれる正常な意識。
現実と夢の狭間に居るような。錯覚と悪夢の間に居るような不安定な世界を、痛みによって再構築する煩わしさ。
政宗は下肢から背筋を伝って這い上がってくる感覚を追い払うように、幾度となく後頭部を柱に打ち付ける。
「っ、う、う……ぐっ」
舐め上げて、吸い込んで、慈しむように撫でられる。
相手の誰かもわからず。自分がどうしてここに居るかも知らず。なぜこんなことをされているのかも、理解できず。
闇しか存在しない世界に頭まで静めたこの状況が続けば、いつか自分は狂ってしまうのではないか――否、もう狂ってしまっているのではないかと怖気が胸を支配した。
逃げるように体を捩り、痛む手首を無視して目の前に居るはずの相手から体を逃した。
けれど、視界が捕らえることのできない触手がこの体に伸びてくるように、再び政宗の躯は闇に繋ぎとめられて、ずぶずぶと生暖かい闇の中へと沈められてゆく。
「――――ッ!」
再び下肢を相手の手中へと奪われた刹那、チリン、と金物同士がぶつかり合うような涼やかな音を耳が拾った気がした。
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(途中と云うか、ネタと云うか。未完)
―――バタンッ、と大きな音を立てて『beone(ベオーネ)』の扉が開かれる。
ある人は何事かと振り向き、ある人は怯えるように方を竦ませる。そんな方々からのリアクションに何も応えることは無く、息を激しく乱しながら店へと飛び込んできた男―――伊達政宗は近くにあったソファへと一気に倒れ込んだ。
「と、当代?!」
「政宗様、如何したんで……ッ」
心配げに駆け寄ってくる顔、顔、顔。
ちょうど眼に入ったのが己の率いる暴力団体『伊達組』をバックに運営している会員制のバーだったのには幸いした。己が疲弊しているときには、面倒は少ないのに限る。
未だ息が整わない政宗を気にしたのか、この店に居た伊達組の構成員の中で最も古参の男は携帯を手にしながらも、水やお絞りを持ってくるように指示を飛ばす。それを横目に見ながらも、政宗はズキズキと痛痒い脇腹へと己の手を導いた。
「当代、一体何があったんですか?!」
「ひとまず、小十郎の兄貴に連絡を……」
少しぬるついた感触がするのは、血が流れているからだろう。
己の不警戒さを今更呪ったところで遅いが、巻き込まれた不運にはついつい愚痴の一つも言いたくなるものだ。
「―――小十郎には、黙っとけ」
「し、しかし」
「理由はちゃんと喋ってやる。……ひとまず、酒持ってこい」
政宗の側で心配顔している男にそう告げると、政宗はおもむろに纏っていた上衣を脱ぎだす。
今日はダークグレイのダブルスーツに、濃紺の開襟シャツといったラフな格好だが、高価な生地のそれには見事な銃創が走っている。これはもう着れないな、と頭の片隅で思いながらもシャツの前を全て肌蹴た政宗は右脇腹の傷を確認する。
先程喰らった鉛玉は体を貫通することなく、運よく脇腹を掠っただけで済んだ。逃げながらの負傷だったせいもあり、血は多く出てしまったようだが、傷も深くは無いだろう。
組の若衆が急いで持ってきた洋酒のビンを奪い取り、息を詰めながら一気に傷へと冷たい液体をまぶす。
「―――っ……」
消毒薬代わりとは言え、―――痛い。
やはり酒は呑むに限ると、あらかたの血を流し終えた政宗は景気づけにと、ビンのまま喉奥に焼けるようなアルコールを流し込んだ。
「……当代、この傷は……?」
政宗が酒を呷り、大きく息を吐いたのを見計らって古参の男が声を掛ける。
少し熱っぽい体を持て余した政宗は、革張りのソファにだらしなく寝転がりながら男の質問に答えた。
「応龍会のヤツに絡まれた。……相手は振り切ったからな。特に問題はねえと思うが……」
「お、応龍会?!」
ギョッと眼を剥く男を見ながら、顔色が変わるのも当たり前か、と政宗は内心溜め息を付く。
伊達組と応龍会は同じく龍志会系の二次団体だが、すこぶる仲が悪い。―――そのほとんどが組長同士の不仲さに起因するのだが、ものの見事に両極に存在するゆえか、二つの組の間での問題は尽きる事が無い。
ここ最近は、特に応龍会との問題も無く、少し気が抜けていたのが仇になったのか。まさかたかが若衆に追い詰められるとは思っていなかった。
「いきなりハジキぶっ飛ばして来るとは思わなかったからな。反撃する暇も無かったぜ」
歓楽街のど真ん中。いくら応龍会のシマ内であるとは言え、抗争も勃発していない今、あんな下っ端に銃が出回っているとは思っていなかったため、反撃を加える前に体が動いていた。こちらも銃を持っていないわけでは無いが、相手は一人ではなかった。こちらが単独で行動しているため、撃たれてしまっては洒落にならない。
敵前逃亡はいささか癪だが、馬鹿な意地を張って命を落とすよりは幾分ましだろう。
「……あの、当代。護衛の奴らはどうしたんで?まさかこの界隈を一人で歩いてたなんてことは……」
「あ? ……あぁ、本当は小十郎と来てたんだがなあ。アイツがあんまりうるせえから、ちょっと、な」
―――撒いたのか、と話を聞いていた組員の顔が一気に曇る。
「今頃俺を探してるか、事務所戻って説教の準備をしてるか……そのどっちかだろ。俺は少し寝てから帰るから、手前ら、絶対ぇ小十郎に知らせるなよ」
言うなり、政宗はソファに寝転がったまま目を閉じる。
軽傷とは言え、流血沙汰に陥りながらの全力疾走はいささか堪えた。どうせ事務所か自宅に帰れば、煩わしいお説教が待っているのだ。その前に少しでも体力を補充しておかなければ、それこそぶっ倒れてしまうだろう。
先程呷った酒と疲労感のおかげで、なんとかすぐに眠りの世界へと堕ちる事が出来そうだ。
頭上で組員が無言の会話を交わしているのも知らず、政宗はまどろみの世界へと足を踏み入れようとしたのだ―――が。
―――ピリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリ。
嫌という程聞き覚えのある電子音が沈黙していた『beone』の中で響いた。
携帯の持ち主―――政宗は、タイミングの悪さに思わず舌を打ったが、一度切れた電話はしかしもう一度鳴り響く。
これは小十郎が痺れを切らして電話を掛けてきたな、と当たりを付け、眼を閉じたまま胸の隠しへと手を突っ込んだ政宗は、発信源も見ずに周囲が度肝を抜くほどの声量でもって応答した。
「取り込み中だッ、用ならあとで……」
『―――伊達サン?』
腹から引き絞ったような大音量にもめげず、電話口から流れ出したのは甘めの低音。その口調にも、その声にも嫌と言うほど覚えのある政宗は、顔をしかめるしかない。
『うちの若いのが伊達の当代討ち取ったって、やけに騒いでたから気になったんだけど・・・その調子なら大丈夫みたいだね。―――で、元気?』
クスリ、と落とされる微笑がわざとらしい。
人の神経を掻き毟ることに慣れた男の手練手管には頭が下がる政宗である。
「手前ぇ……」
『まぁ、悪運の強い伊達サンの事だから死んでるってことは無いと思ったけど』
「おい……、」
『―――なんたってゴキブリ並の生命力だし?』
「おいッ!!」
『なぁに?』
流石に聞き逃せないぞ、と凄んでも男はどこ吹く風。どうせ詰め寄ったところで、半分冗談、半分本気などとふざけた事の抜かすつもりなのだろう。
無駄な疲れは抱え込まないに限る。
一度大きく息を吐いた政宗は、極力怒りを抑えながら切り返す。
「手前、俺に鉛玉ぶち込んでおいてソレだけで済ます気かよ?」
『ん?……あぁ。ケジメ、ね。今回はうちの勇み足だし、近い内に菓子折りでも持ってくよ。ちなみに小指、欲しい?』
「要らねえ。応龍会の血が入った指なんざ、俺のシマに入れてたまるか。――汚れる」
『相変わらず口の悪い……。ま、いいけどね』
-------------------------------------------------------
「どーすんだよ、報せなかったら小十郎さん怖ぇぞー……」
「つったって、当代の方も怖ぇよぉお……ッ」
「―――成実の兄貴、よんどけ」
「はぁ?」
「要するに、小十郎さんに直接報せなきゃいいんだ。成実の兄貴なら、勝手に連絡取ってくれんだろ」
「はァあッ?!当代があのクソ猿の手下に打たれたってぇえ?」
「ハ、ハイ。今はbeoneで寝かせてるんですが、小十郎さんには知らせるなと…」
「あ?なんで?」
「……どうやら、小十郎さんを巻いたところを撃たれたみたいで」
「あちゃー……」
「まぁ、小十郎には俺から言っておく。―――で、当代の様子は?」
「傷は浅かったのでご自身でヘネシーぶっかけて、ついでに一杯煽って寝息立ててます」
「血が流れてんのに酒呑むなっての……」
―――バタンッ、と大きな音を立てて『beone(ベオーネ)』の扉が開かれる。
ある人は何事かと振り向き、ある人は怯えるように方を竦ませる。そんな方々からのリアクションに何も応えることは無く、息を激しく乱しながら店へと飛び込んできた男―――伊達政宗は近くにあったソファへと一気に倒れ込んだ。
「と、当代?!」
「政宗様、如何したんで……ッ」
心配げに駆け寄ってくる顔、顔、顔。
ちょうど眼に入ったのが己の率いる暴力団体『伊達組』をバックに運営している会員制のバーだったのには幸いした。己が疲弊しているときには、面倒は少ないのに限る。
未だ息が整わない政宗を気にしたのか、この店に居た伊達組の構成員の中で最も古参の男は携帯を手にしながらも、水やお絞りを持ってくるように指示を飛ばす。それを横目に見ながらも、政宗はズキズキと痛痒い脇腹へと己の手を導いた。
「当代、一体何があったんですか?!」
「ひとまず、小十郎の兄貴に連絡を……」
少しぬるついた感触がするのは、血が流れているからだろう。
己の不警戒さを今更呪ったところで遅いが、巻き込まれた不運にはついつい愚痴の一つも言いたくなるものだ。
「―――小十郎には、黙っとけ」
「し、しかし」
「理由はちゃんと喋ってやる。……ひとまず、酒持ってこい」
政宗の側で心配顔している男にそう告げると、政宗はおもむろに纏っていた上衣を脱ぎだす。
今日はダークグレイのダブルスーツに、濃紺の開襟シャツといったラフな格好だが、高価な生地のそれには見事な銃創が走っている。これはもう着れないな、と頭の片隅で思いながらもシャツの前を全て肌蹴た政宗は右脇腹の傷を確認する。
先程喰らった鉛玉は体を貫通することなく、運よく脇腹を掠っただけで済んだ。逃げながらの負傷だったせいもあり、血は多く出てしまったようだが、傷も深くは無いだろう。
組の若衆が急いで持ってきた洋酒のビンを奪い取り、息を詰めながら一気に傷へと冷たい液体をまぶす。
「―――っ……」
消毒薬代わりとは言え、―――痛い。
やはり酒は呑むに限ると、あらかたの血を流し終えた政宗は景気づけにと、ビンのまま喉奥に焼けるようなアルコールを流し込んだ。
「……当代、この傷は……?」
政宗が酒を呷り、大きく息を吐いたのを見計らって古参の男が声を掛ける。
少し熱っぽい体を持て余した政宗は、革張りのソファにだらしなく寝転がりながら男の質問に答えた。
「応龍会のヤツに絡まれた。……相手は振り切ったからな。特に問題はねえと思うが……」
「お、応龍会?!」
ギョッと眼を剥く男を見ながら、顔色が変わるのも当たり前か、と政宗は内心溜め息を付く。
伊達組と応龍会は同じく龍志会系の二次団体だが、すこぶる仲が悪い。―――そのほとんどが組長同士の不仲さに起因するのだが、ものの見事に両極に存在するゆえか、二つの組の間での問題は尽きる事が無い。
ここ最近は、特に応龍会との問題も無く、少し気が抜けていたのが仇になったのか。まさかたかが若衆に追い詰められるとは思っていなかった。
「いきなりハジキぶっ飛ばして来るとは思わなかったからな。反撃する暇も無かったぜ」
歓楽街のど真ん中。いくら応龍会のシマ内であるとは言え、抗争も勃発していない今、あんな下っ端に銃が出回っているとは思っていなかったため、反撃を加える前に体が動いていた。こちらも銃を持っていないわけでは無いが、相手は一人ではなかった。こちらが単独で行動しているため、撃たれてしまっては洒落にならない。
敵前逃亡はいささか癪だが、馬鹿な意地を張って命を落とすよりは幾分ましだろう。
「……あの、当代。護衛の奴らはどうしたんで?まさかこの界隈を一人で歩いてたなんてことは……」
「あ? ……あぁ、本当は小十郎と来てたんだがなあ。アイツがあんまりうるせえから、ちょっと、な」
―――撒いたのか、と話を聞いていた組員の顔が一気に曇る。
「今頃俺を探してるか、事務所戻って説教の準備をしてるか……そのどっちかだろ。俺は少し寝てから帰るから、手前ら、絶対ぇ小十郎に知らせるなよ」
言うなり、政宗はソファに寝転がったまま目を閉じる。
軽傷とは言え、流血沙汰に陥りながらの全力疾走はいささか堪えた。どうせ事務所か自宅に帰れば、煩わしいお説教が待っているのだ。その前に少しでも体力を補充しておかなければ、それこそぶっ倒れてしまうだろう。
先程呷った酒と疲労感のおかげで、なんとかすぐに眠りの世界へと堕ちる事が出来そうだ。
頭上で組員が無言の会話を交わしているのも知らず、政宗はまどろみの世界へと足を踏み入れようとしたのだ―――が。
―――ピリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリ。
嫌という程聞き覚えのある電子音が沈黙していた『beone』の中で響いた。
携帯の持ち主―――政宗は、タイミングの悪さに思わず舌を打ったが、一度切れた電話はしかしもう一度鳴り響く。
これは小十郎が痺れを切らして電話を掛けてきたな、と当たりを付け、眼を閉じたまま胸の隠しへと手を突っ込んだ政宗は、発信源も見ずに周囲が度肝を抜くほどの声量でもって応答した。
「取り込み中だッ、用ならあとで……」
『―――伊達サン?』
腹から引き絞ったような大音量にもめげず、電話口から流れ出したのは甘めの低音。その口調にも、その声にも嫌と言うほど覚えのある政宗は、顔をしかめるしかない。
『うちの若いのが伊達の当代討ち取ったって、やけに騒いでたから気になったんだけど・・・その調子なら大丈夫みたいだね。―――で、元気?』
クスリ、と落とされる微笑がわざとらしい。
人の神経を掻き毟ることに慣れた男の手練手管には頭が下がる政宗である。
「手前ぇ……」
『まぁ、悪運の強い伊達サンの事だから死んでるってことは無いと思ったけど』
「おい……、」
『―――なんたってゴキブリ並の生命力だし?』
「おいッ!!」
『なぁに?』
流石に聞き逃せないぞ、と凄んでも男はどこ吹く風。どうせ詰め寄ったところで、半分冗談、半分本気などとふざけた事の抜かすつもりなのだろう。
無駄な疲れは抱え込まないに限る。
一度大きく息を吐いた政宗は、極力怒りを抑えながら切り返す。
「手前、俺に鉛玉ぶち込んでおいてソレだけで済ます気かよ?」
『ん?……あぁ。ケジメ、ね。今回はうちの勇み足だし、近い内に菓子折りでも持ってくよ。ちなみに小指、欲しい?』
「要らねえ。応龍会の血が入った指なんざ、俺のシマに入れてたまるか。――汚れる」
『相変わらず口の悪い……。ま、いいけどね』
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「どーすんだよ、報せなかったら小十郎さん怖ぇぞー……」
「つったって、当代の方も怖ぇよぉお……ッ」
「―――成実の兄貴、よんどけ」
「はぁ?」
「要するに、小十郎さんに直接報せなきゃいいんだ。成実の兄貴なら、勝手に連絡取ってくれんだろ」
「はァあッ?!当代があのクソ猿の手下に打たれたってぇえ?」
「ハ、ハイ。今はbeoneで寝かせてるんですが、小十郎さんには知らせるなと…」
「あ?なんで?」
「……どうやら、小十郎さんを巻いたところを撃たれたみたいで」
「あちゃー……」
「まぁ、小十郎には俺から言っておく。―――で、当代の様子は?」
「傷は浅かったのでご自身でヘネシーぶっかけて、ついでに一杯煽って寝息立ててます」
「血が流れてんのに酒呑むなっての……」
―――運がいい。
滅多に思うことがない言葉を、九尾狐である佐助は噛み締めるように反芻した。
視線を下げれば、胡坐を掻いた己の脚の間に横たわる他所の養い児の姿。普段は警戒心を丸出しにして、毛を逆立てながら威嚇してくるくせに、今日に限っては勝気で挑発的な瞳は柔らかで美味そうな瞼の下に隠れてしまっている。
さらさらと頬に流れ落ちている黒髪が邪魔そうで梳き上げてやれば、くるると鳴る喉の音に、心地良さげに揺らされる漆黒の尾が二本。
「……かわいい、」
くすり、とからかう様な声を落としても、当の本人は気付きもせずに心地良い惰眠を貪っているらしい。
己の腿に頬を摺り寄せる子ども―――猫又の政宗の目じりに軽く口付けた佐助は、後ろ手で体を支えるようにして天(そら)を仰いだ。
今宵は満月の次の夜。
政宗の本来の養い親である人狼の小十郎は、政宗に害がないようにと遠くの山へと姿を消し、その間の子守を鬼の元親に頼んだらしい。―――小十郎という邪魔者が居ない満月の夜は、たいてい佐助もこの地へと足を運ぶのだが、小十郎から政宗の子守を頼まれたことがないのは小十郎の信頼を勝ち得ていないからだ。
しかし今宵は何か外せぬ用事でもあったのか、佐助が姿を見せるなり元親は寸暇を惜しむように矢次に政宗を頼むという言葉を残し、足早に縄張りを出て行ってしまった。
それも、なぜか酔って前後不覚になった政宗を置いて。
妖怪として何百という年月を過ごしてきた佐助や元親や小十郎などは、酒に対する免疫も強い――というより、酔う事が稀――なのだが、普通の猫からようやく猫又へと変貌を遂げた新米妖怪の政宗には、佐助たちが飲む酒はいささか刺激が強すぎるらしい。
目じりだけをほんのりと赤く染めながら、ふらふらと小十郎に甘えかかるのはいつものこと。
普段の勝気さを消し、甘ったるい空気だけを放つ政宗を見ることが出来るのは酒に酔ったときだけなのだが、その際にはたいてい小十郎が過剰なほどに政宗に気を払っているから、突くこともできない。
それが今日はどうだろう。
邪魔者は居ないし、意識が酩酊した政宗は小十郎と勘違いしているのか己から身を摺り寄せてきて甘える始末。これが愉しくないはずがない。
柔らかな黒髪を指に絡め、布越しに伝わる体温に頬を緩める。
続きを促すように佐助の胸を撫でる尾は無意識なのだろうが、体感以上のくすぐったさが体を覆って面映い。
「やっばいねぇ、これは……」
癖になりそう。
誰に言うでもなく呟いて、佐助は無心に甘えてくる政宗の寝顔をうっとりと眺めた。
普段からこうして甘えてくれれば、厭というほど可愛がってやるというのに。意地っ張りな仔猫ちゃんは、素直という言葉を知らない。―――それはそれで、からかいがいがあって愉しいのだけれど。
見上げた月は満月より少し欠いた十六夜の月。
これから欠けてゆく月を眺めているのはなぜか酷く寂しく感じて、佐助は己の囲いのなかでまどろむ仔猫へと視線を移した。
滅多に思うことがない言葉を、九尾狐である佐助は噛み締めるように反芻した。
視線を下げれば、胡坐を掻いた己の脚の間に横たわる他所の養い児の姿。普段は警戒心を丸出しにして、毛を逆立てながら威嚇してくるくせに、今日に限っては勝気で挑発的な瞳は柔らかで美味そうな瞼の下に隠れてしまっている。
さらさらと頬に流れ落ちている黒髪が邪魔そうで梳き上げてやれば、くるると鳴る喉の音に、心地良さげに揺らされる漆黒の尾が二本。
「……かわいい、」
くすり、とからかう様な声を落としても、当の本人は気付きもせずに心地良い惰眠を貪っているらしい。
己の腿に頬を摺り寄せる子ども―――猫又の政宗の目じりに軽く口付けた佐助は、後ろ手で体を支えるようにして天(そら)を仰いだ。
今宵は満月の次の夜。
政宗の本来の養い親である人狼の小十郎は、政宗に害がないようにと遠くの山へと姿を消し、その間の子守を鬼の元親に頼んだらしい。―――小十郎という邪魔者が居ない満月の夜は、たいてい佐助もこの地へと足を運ぶのだが、小十郎から政宗の子守を頼まれたことがないのは小十郎の信頼を勝ち得ていないからだ。
しかし今宵は何か外せぬ用事でもあったのか、佐助が姿を見せるなり元親は寸暇を惜しむように矢次に政宗を頼むという言葉を残し、足早に縄張りを出て行ってしまった。
それも、なぜか酔って前後不覚になった政宗を置いて。
妖怪として何百という年月を過ごしてきた佐助や元親や小十郎などは、酒に対する免疫も強い――というより、酔う事が稀――なのだが、普通の猫からようやく猫又へと変貌を遂げた新米妖怪の政宗には、佐助たちが飲む酒はいささか刺激が強すぎるらしい。
目じりだけをほんのりと赤く染めながら、ふらふらと小十郎に甘えかかるのはいつものこと。
普段の勝気さを消し、甘ったるい空気だけを放つ政宗を見ることが出来るのは酒に酔ったときだけなのだが、その際にはたいてい小十郎が過剰なほどに政宗に気を払っているから、突くこともできない。
それが今日はどうだろう。
邪魔者は居ないし、意識が酩酊した政宗は小十郎と勘違いしているのか己から身を摺り寄せてきて甘える始末。これが愉しくないはずがない。
柔らかな黒髪を指に絡め、布越しに伝わる体温に頬を緩める。
続きを促すように佐助の胸を撫でる尾は無意識なのだろうが、体感以上のくすぐったさが体を覆って面映い。
「やっばいねぇ、これは……」
癖になりそう。
誰に言うでもなく呟いて、佐助は無心に甘えてくる政宗の寝顔をうっとりと眺めた。
普段からこうして甘えてくれれば、厭というほど可愛がってやるというのに。意地っ張りな仔猫ちゃんは、素直という言葉を知らない。―――それはそれで、からかいがいがあって愉しいのだけれど。
見上げた月は満月より少し欠いた十六夜の月。
これから欠けてゆく月を眺めているのはなぜか酷く寂しく感じて、佐助は己の囲いのなかでまどろむ仔猫へと視線を移した。